Jリーグの生みの親、木之本興三さんが死去。グッドパスチャー症候群で人工透析を40年以上…。お疲れさまでした。


スポンサードリンク

病魔に悩む木之本興三さんが思い描いた、
夢が今やプロ野球に並ぶ人気スポーツになりましたね。

今や、野球を凌いで、
国内最大の競技人口を誇ります。

全ては、「Jリーグ」が始まったことによります。


そのJリーグを創った男、木之本興三さんがお亡くなりになりました。

日本サッカーはJリーグ開幕するまでは、
オリンピックでも、W杯の予選でも全然勝てず、
サッカーをやってるなんて言ったら、
なんでそんなことしているの?みたいな状態だったんですよね。

それがたった25年ぐらい前の話。

スポーツは宣伝でしかなかった時代。
プロ野球だけあればOKだった時代。

そこで日本にプロサッカーリーグを!と奔走したのが、
木之本興三さんでした。

木之本興三さんについて調べました。

スポンサードリンク

Jリーグの生みの親、木之本興三さん死去

木之本 興三(きのもと こうぞう)さんは、
1949年1月8日生まれ、
千葉県出身の元サッカー選手。

元Jリーグ専務理事の木之本興三氏の死因は、
うっ血性心不全。

今月15日午後3時38分、
千葉大学医学部附属病院で死去。

享年68歳でした。

木之本興三さんは古河電工の元サッカー選手

木之本興三さんは、
中学時代からサッカーをはじめ、
千葉高校から東京教育大学(現・筑波大学)に進み、
大学時代にはサッカー部のキャプテンとして
東京教育大学を全日本大学サッカー選手権で優勝へ導きました。

そして、古河電工サッカー部という、
実業団チームでも伝統のある名門へ。

先輩には、超スター選手がたくさんいました。

メキシコオリンピックで日本が銅メダルを獲得したときの監督で、
のちに日本サッカー協会の会長を務めることになる長沼健。
Jリーグで名古屋グランパスエイトの監督に就く平木隆三。

そして、木之本が入社したときのサッカー部の監督は、
初代Jリーグチェアマンになる川淵三郎。

すごいメンバーですよね。

木之本興三さんはグッドパスチャー症候群に倒れます

入社2年目、結婚した直後に、
血を吐いて倒れ、
奇病・グッドパスチャー症候群と診断されます。

その後、腎臓を切除し、
数年の命と宣告されました。

週三回、人工透析が続きます。

会社もクビになった木之本は、
仕事以外の目標を見つけよう…
という考えと、

病床で、友人の日本代表サッカー選手の苦悩をしり、

「日本にプロサッカーリーグを創ろう」

という大それた夢を見ます。

サッカー関係者の中には、
「100年かかっても無理」
って反対する人たちがいる中…
夢に向かって走り始めます。

木之本興三さんは執念でJリ-グを実現させます

スポーツのアマチュアリズムを掲げる日本サッカー協会は反対。
チーム名から企業名を外すことに、スポンサーの大企業が猛反発。

しかし、人工透析で苦しみながら走り続ける、
木之本の情熱に、高校からマネージャー人生一筋の男や、
日本サッカー界に絶望し、一度はサッカーを捨てた男たちが集結し、
鹿島町の協力も受けて、
あの世界一の男ジーコを招集するに至り…

無理だ、無謀だといわれた、
Jリーグを開幕させます。

すごい情熱。

木之本さんがいなければ、毎週楽しみにしているJリーグはないんだと思うと、
本当に感謝しかないです。

ご冥福をお祈りいたします。

スポンサードリンク