淀君の性格や悪女と呼ばれた理由は?カルテットで「あの人あだ名淀君だから」は笑いましたね。


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カルテットで、
高校受験を控えた妹が、
姉(吉岡里帆)を称して、
「あの人あだ名淀君だから」
って言ったのは笑いましたねw

悪女エピソードコワイ・・

・小学校のとき、彼女がいるクラスだけ毎年学級崩壊になった

・アップルストアで働いていた彼氏が、有朱と付き合ったことで、今では毎朝パチンコ屋に並ぶようになっている

さて、淀君とは、
淀殿のことですね。
浅井三姉妹の浅井茶々です。

豊臣秀吉の側室でもあり、
日本でもトップクラスに有名な悪女の一人、
淀殿。

関ヶ原の戦いや大阪の陣での最重要人物の一人です。

淀殿が稀代の悪女と呼ばれるようになった理由を調べてみましたw

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淀殿(淀君)の性格は?ヒステリック?

淀殿の性格は一般的に、
勝ち気で気位が高い人ってイメージですよね。

ヒステリックな人って演じられるのが多い気がします。

もちろんドラマ上の演出で、
彼女の気位が高くなったわけではなく(もちろんその部分もあるんだと思いますが)、

裏付けがちゃんとあります。

よく言われるのは徳川家康と淀殿のやりとりですよね。

徳川家康が、
淀殿と豊臣秀吉の子供の、
豊臣秀頼へ、
二条城へ上洛するよう求めたことがありました。

これに対して、
淀殿がきれて断固拒否。

「無理に上洛を強いるならば、秀頼を殺して私も死ぬ」

もちろん息子を守るためでもあったんでしょうが、
守るために子供も殺すぞ!って状態は、
すごいですよね。

さらに、大阪の陣でも、
徳河家康に激しく抵抗し、
毅然とした態度を取ったというのが一般的な見解でした。

近年では、
人質になってもいいよーって言っていた資料や、
徳川家にそこまで反発していなかった、
というような資料もあったりと、
歴史ってそういうもんだよねーって感じ。

淀殿(淀君)は悪女?

気の強さやヒステリックさは、
さておき、なんで悪女なんでしょうね?

それ後世でも言われ続けるって相当ですよね。

まぁ、一番大きな理由は、
大坂の陣で、豊臣家を滅亡させたことでしょうね。

徳川家への反発をして、
最後の最後まで、対抗したんですよね。

関ヶ原の戦いも終わっていて、
徳川の時代になるのがどうしても許せなかった淀殿。

だから徳川家に従うなんて、
許せなかったんでしょうね。

豊臣秀吉の正室である高台院(北政所)vs淀殿は、超有名ですよね。

関ヶ原の戦いの発端となったのは、
この対立っていうのも言われていますしね。

それに、それまで実子のいなかった
豊臣秀吉の子供を身ごもり、
本当に子供の父親は秀吉なの??っていう噂があり、
石田三成との関係で、悪女と呼ばれるようになったとされています。

淀殿が淀君と呼ばれるのはなぜ?

淀殿はなんで、淀君って呼ばれているんでしょうか。

淀君っていうのは、
実は彼女が生きている間に呼ばれることはなかったそうです。
資料によると呼ばれていないんですって。

「淀君」という名称は、
明治時代の坪内逍遥の戯曲「桐一葉」によって、
定着したものと言われています。

坪内逍遥の戯曲「桐一葉」のあらすじ

大阪の陣が起こる前に、
豊臣家の家老を務めていた片桐且元が、
事実上の大阪城の城主であった「淀君」に、
城を追い出される過程を悲劇として描いた作品。

この作品が、淀殿を「淀君」たらしめる所以となりました。

と言うようになったとされています。

悪女を中学校時代のあだ名にされる、
吉岡里帆も素晴らしいですよね。

ずっと笑顔の目が死んでるなぁw

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