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古関裕而(こせきゆうじ)の曲が歌い継がれる。阪神の六甲おろし、巨人の闘魂こめて、甲子園の栄冠は君に輝く…同じ作曲家の作品。

永遠のライバル球団、阪神タイガースと読売ジャイアンツ。その応援歌として知られている六甲おろし、闘魂込めてですが、作ったのが両方とも同じ作曲家だって知っていますか?

古関裕而(こせきゆうじ)のプロフィール

古関裕而(こせきゆうじ)は、日本の作曲家で、音楽家としての偉業と功績によって知られています。

古関裕而は1910年に福島県いわき市で生まれました。彼は日本の音楽界において非常に重要な存在であり、クラシック音楽から映画音楽、テレビドラマの音楽まで多岐にわたるジャンルで活躍しました。

古関裕而は、日本コロムビアに専属の作曲家として在籍し、多くの楽曲を制作しました。その中で最も有名な楽曲は六甲おろしと闘魂込めて、栄冠は君に輝く、オリンピックマーチなど…1曲に絞れないですよね。

ちなみにNHKの朝ドラ連続テレビ小説「エール」は、古関さんのことをモデルに描いた作品です。

明治末期、福島に生まれた古山裕一は、独学で作曲の才能を開花させる。青年になり、音楽に導かれるように関内音と結婚。不遇の時代を乗り越えヒット曲を生み出していく。時代は戦争へと突入し、多くの戦時歌謡を作曲する。戦後は、傷ついた人々の心を音楽の力で勇気づけようと、新しい時代の音楽を奏でていく。

古関裕而の音楽は、日本の音楽史において特に重要で、彼の楽曲は今もなお多くの人々に愛されています。福島市には古関裕而を称える記念館もあり、その功績が称えられています。

古関裕而は、日本の音楽界における重要な作曲家であり、彼の音楽は多くの人々に感動と喜びをもたらし続けています。

古関裕而とプロ野球応援歌

ドラマ音楽でも有名ですが、古関さんの楽曲で今でも歌い継がれているのはプロ野球の応援歌でしょうねぇ。

古関裕而は、プロ野球球団の応援歌を作曲し、プロ野球の振興に大きな貢献をしています。

プロ野球の中で「永遠のライバル」の巨人と阪神。

その両者の応援歌を作曲したのが同じ人っていうのは面白いですよねー。

阪神タイガースの歌「六甲おろし」

1936年、「日本職業野球連盟」というプロ野球連盟が発足した年に作曲されたこの曲。

もともとは「大阪タイガースの歌」として発表され、その後1963年に「阪神タイガースの歌」に変更され、現在は誰もが知っている名前の「六甲おろし」で知られています。

ちなみにこの曲は現存する12球団の中で、応援歌として最も歴史が古く、かつ、作曲から87年を経た現在も阪神タイガースのファンによって歌い継がれています。

1985年、阪神タイガースが21年ぶりに優勝した際には、甲子園からの帰りの阪神電車が「六甲おろし」のカラオケ電車と化し、そのまま大阪・梅田が深夜までカラオケ広場と化しました。

そして、2023年、18年ぶりにリーグ制覇を果たした阪神タイガースの優勝の際にも歌い継がれている名曲。

プロ野球を代表する応援歌の一つとして、阪神タイガースファンだけではなく、プロ野球12球団のファンが1度は聴いたことがある(もしくは歌える)名曲ですよね。

巨人軍の歌「闘魂こめて」

阪神タイガースの曲を作ってから3年後の1939年、最初の巨人軍の歌「(通称)野球の王者」を作曲。

1963年に巨人軍創設30年を記念して古関氏により作られた3代目の巨人軍の歌である「闘魂こめて」が球団歌として一般的に歌われています。

なので、六甲おろしよりだいぶ時間がたってから作られたのが闘魂こめてです。

東京ドームでの巨人戦では、5回終了時などに流され、JR水道橋駅では、2006年より開業100周年を記念し、この曲が発車メロディーとして使用されています。

中日ドラゴンズの歌

ちなみに今は歌われていないですが…1950年に中日の曲も作ってるんですよね。

最初に作られた2曲の応援歌のうちの1曲で、1973年に新しい応援歌「燃えよドラゴンズ!」が山本正之の手によって作曲されるまでは歌われていました。

阪神、巨人、中日と歴史のあるセ・リーグの楽曲を同じ人が作っていたのは面白いですし、そのうちの2曲はいまだに歌い継がれているのもすごいですよね。

古関裕而と大学野球応援歌

プロ野球だけじゃなく、古関氏は六大学野球にもかなり影響を残しています。

大正・昭和初期の日本の野球人気を牽引する存在だった六大学野球。その永遠のライバル校同士の応援歌どちらも古関裕而が作曲し、それが早慶戦のみならず大学野球全体の盛り上がりを支えているのもすごいですよね。

早稲田大学応援歌「紺碧の空」

1931年当時、慶応大学応援歌「若き血」に押されていた早稲田大学が新しい応援歌を作ることとなり、古関裕而と同郷の歌手・伊藤久男の従兄弟が早稲田大学応援部に所属していたことが縁となり、作曲を同氏へ依頼されることとなりました。

作曲当時は第7応援歌だったものの、今では第1応援歌として歌い継がれています。

これが実は古関さんの最初のヒット曲で、スポーツ音楽といえば古関氏となったのはこの曲がきっかけだといわれています。

「日本職業野球連盟」ができる5年前のことですからね。

慶応大学応援歌「我ぞ覇者」

早稲田の曲から15年後の1946年に作曲。慶応大学応援団は「打倒早稲田」を意識し、「紺碧の空」に対抗するため同応援歌の作曲者である古関裕而氏に応援歌の作曲を依頼しました。

「紺碧の空」を作曲しているため早稲田の了解を作曲の条件としたが、既にその時点で了解が取れていたため快く作曲に取りかかったといわれています。面白いよなぁ。好敵早稲田の歌詞が入っているので、早慶戦で歌うための曲だといわれています。

早慶讃歌 -花の早慶戦

古関裕而さんと六大学野球の花である早慶戦のつながりは深く、試合開始前に両校の学生が一緒に歌える歌「早慶讃歌 -花の早慶戦」も古関さんが作曲しました。

ライバル同士で一緒に歌う曲っていうのは珍しいですよね。

早慶以外の大学野球の応援歌

ちなみに早稲田、慶応だけではなく、日本の大学野球では古関さんの歌を聞かないのは無理かもしれないですよ。

というのも早稲田、慶応以外の応援歌では…

  • 明治大学応援歌「紫紺の旗の下に」
  • 日本大学応援歌「水の覇者日大」
  • 中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」
  • 名城大学応援歌「真澄の空に」
  • 東京農業大学カレッヂソング

と数多くの大学の応援歌を作っています。

古関裕而と高校野球

阪神、巨人の応援歌、早慶、明治、日大、中央などの応援歌に加えて、間違いなく野球ファンが絶対に聞いたことのある曲を古関さんは作っています。

それが、1948年に作曲した夏の全国高等学校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」。

六甲おろし、闘魂こめてに加えて栄冠は君に輝くも同じ人だって知っていましたか?

いまだに歌い継がれている、高校球児が青春を捧げる夏の甲子園の風物詩ですよね。

まとめ

それ以外にも都市対抗野球行進歌や、オリンピック・マーチなど数多くのスポーツ関連の楽曲を作曲した古関さん。

この人のおかげで日本のスポーツの応援が盛り上がったと言っても過言じゃありません。

この曲も?って驚くかもしれないのでぜひ聞いてみてください。